戦争体験談集「平和への伝言」第5集を刊行しました


あさひかわ西地域九条の会は2012年9月9日、戦争体験談集「平和への伝言」第5集を刊行しました。1冊、400円です。

平和への伝言5表紙

第一部 戦争体験談
●母は《壮絶な戦病死》を遂げたのだと私は思う —私と十五年戦争—
(兵士が旭橋を渡るような世にしては駄目だと考える)・・・・松原光温さん
●やむなく兵士にはなったが戦争反対の姿勢を貫き通した・・・・平山照次さん

第二部 戦争体験談
●ガダルカナルでは米軍戦車に轢かれたが、それでも生きていた
私に「なぜ生きて還った!」と母は怒鳴った・・・・岡田定信さん
●いのち 《第二次世界大戦の後さき》体験の記・・・・相澤スミヱさん

第三部 講演会・誌上再現
●原発がすべてを奪った
〜福島・飯舘村の声を聞く〜in旭川・・・・長谷川健一さん

【あさひかわ西地域九条の会・活動のページ】
●「平和の朝顔」に願いを託して
《憎しみの連鎖》を《平和の連鎖》へ・・・・大崎功雄さん(会員)
●あさひかわ西地域九条の会のあゆみ
●九条の会全国交流集会に参加しました

「平和への伝言Ⅴ」に掲載されているそれぞれのお話の概要は次の通りです。
松原光温さん:明けても暮れても、戦場の家族や親戚のことを気にかけながら家業(精米業)に精を出していた母親の最後を見、松原さんは「母は『壮絶な戦病死』だった」と喝破しました。

平山照次さん:クリスチャンの平山さんは、軍隊内で日々上官から惨たらしい制裁を加えられながらも、命を賭して『人を殺さずにすむ道』を求めました。

岡田定信さん:岡田さんはガダルカナルで米軍戦車に轢かれました。奇跡的に助かったのですが、母親は生還した定信さんに向かい「どうして生きて還ってきたりしたんだ!」と怒鳴りました。生還者は針のむしろに座らされたのでした。

福島県飯舘村酪農家・長谷川健一さん:福島・飯館村は今、人の姿の見えない村になっているそうです。家々の窓はカーテンで閉ざされ、田畑には草が生い茂っているとか。私たちは2012年3月23日、飯館村の酪農家・長谷川健一さんを旭川に招き、原発事故の実相を語ってもらいました。長谷川さんは、時に涙で絶句し、時に怒りあらわに福島弁で叫びました。『平和への伝言』第5巻はその講演を誌上再現。当日参加した旭川市民の声も収録しました。

ご希望の方は、下記のメールアドレスまで、「平和への伝言第5集を○冊希望」と明記の上、お送り先のご住所、お名前、電話番号を記載してお申込みください。バックナンバーもございますので、ご希望の方はお問い合わせください。

代金(1冊400円+送料)のお支払いはお届けの際同封する郵便振替用紙にてお願いいたします。特にご指定がないかぎりクロネコヤマトのメール便でお送りいたします。

info●asahikawa-nishi9.org(●を@に変えて送信してください)